静岡地方裁判所 昭和48年(行ウ)12号 判決 1976年2月10日
原告
細谷祐正
右訴訟代理人
徳岡一男
外一名
被告
静岡県知事
右指定代理人
渋川満
外七名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 原告が昭和四五年八月一三日伊東市宮川町一丁目三九番八宅地826.45平方メートル(以下「本件土地」という。)につきなした温泉堀さく許可申請に対し被告が昭和四六年二月五日なした温泉堀さく不許可処分を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二 当事者の主張<以下略>
理由
一当事者間に争いのない事実
1 本件土地が原告の所有であり、原告が昭和四五年八月一三日被告に対し本件土地につき温泉堀さく許可申請(本件申請)をしたところ、被告が昭和四六年二月五日原告に対しこれを不許可とする処分(本件処分)をしたこと
2 本件土地は、旧伊東市横巻利七二番、同七三番の二筆の土地(横巻利の土地)の一部であるところ、原告の父細谷陸治が昭和一五年ころ横巻利の土地を温泉試堀権付きで買受け、所轄行政庁の許可にもとづき堀さくを開始したが、その後右堀さくを一時中止していたところ、昭和二二年一二月二日横巻利の土地が自創法にもとづき農地として買収されたうえ、高橋正樹に売渡されたが、昭和四四年八月二九日原告が本件土地につき真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記を経由したことの各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二温泉の堀さくに関する都道府県知事の許可または不許可の処分の性質
憲法は、その二九条において、私的財産権の保障を定め、財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律でこれを定める、と規定し、民法はこれを承けて、その二〇六条において、所有者は法令の制限内において自由にその所有物の使用、収益または処分をなす権利を有する旨規定し、さらに次条において、土地の所有権は法令の制限内においてその土地の上下に及ぶ、と規定している。従つて、土地の所有者は、原則として、自由にその所有地を堀さくし、地中から地下水を汲上げたり、石炭・石油・天然ガス・鉱石等の地下資源を採堀したり、埋蔵物を発掘したりする権利を有するものといわなければならず、温泉の採取もまたその例外ではない。
ところで、温泉法三条一項は、温泉をゆう出させる目的で土地を掘さくしようとする者は、都道府県知事に申請してその許可を受けなければならない、と定め、温泉採取を目的とする土地の掘さくに関し、法律を以てこれを一般的に禁止し、申請にもとづいて個別的に右禁止を解除するという規制方法を採つている。そして右規制が、前述のように原則として自由な土地の所有権に対する法令上の制限として位置づけられることからすれば、温泉法が温泉の掘さくを知事の許可にかからせた趣旨は、温泉の掘さくと利用をその権利者の自由に放任すれば、たちまち濫掘と濫用の結果を生じ、既存源泉に悪影響を及ぼすのみならず、新規にゆう出する温泉についてもその性質の悪化をもたらし、ひいて泉源を荒廃させ、温泉地一帯の経済基盤を失わしめ、温泉に来集する不特定多数人の利益を奪う虞れすらある、との懸念にもとづき、温泉源を保護し、その利用の適正化を図る、という公益的見地から出たものと解すべく、既存の温泉井所有者の温泉施設営業等より生ずる既得の利益を直接に保護する趣旨から出たものでないことは明らかである。同法四条は、都道府県知事は、温泉のゆう出量、温度もしくは成分に影響を及ぼし、その他公益を害する虞れがあると認めるときのほかは、温泉掘さくの許可を与えなければならない、と規定しているが、ゆう出量の減少、温度の低下もしくは成分の変化は、いずれも「公益を害する虞れがある」場合の例示と解すべきものであり、「公益を害する虞れがある」場合とは、温泉源を保護し、その利用の適正化を図る、という見地から、特に掘さくを制限する必要があると認められる場合を指すものと解すべきである。
しかしながら、温泉法にいう「温泉」とは、地中からゆう出する温水、鉱水および水蒸気その他のガス(天然ガスを除く。)で、温泉源から採取されるときの温度が摂氏二五度以上であるものまたは遊離炭酸、リチウムイオンその他の物質のうちいずれか一つを各物質毎に定められた量以上に含有しているものをいう(同法二条一項、同法別表)のであるから、その保護および利用の適正化を図るためには、温泉の分布・組成・ゆう出機序等に関する地質学的・物理学的・化学的等自然科学的な知見と温泉の採取・輸送・分配等に関する土木工学的・機械工学的・流体力学的等工学的な知識と温泉の利用に関する経済学的・社会学的等社会科学的な認識とを相互に有機的に関連させた上での専門技術的な判断が必要になるものといわなければならない。
してみれば、温泉源を保護しその利用の適正化を図る見地から温泉掘さく許可を拒む必要があるか否かの判断は、主として、専門技術的な判断を基礎とする行政庁の裁量により決定さるべき事柄であつて、裁判所が行政庁の判断を違法視しうるのは、その判断が行政庁に任された裁量権の限界を越える場合に限られるものというべきである。
三本件処分についての判断
<証拠略>によれば、
1 伊東温泉は、地下深所の熱源から温ケ島層群中の割れ目に沿つて上昇した温泉水が、地表近くにおいて地下水および海水の静水圧を受けて四方に散逸するのを妨げられ、かつ地下水・海水といろいろな割合で混合したもので、その構成要素は、
(一) 旧伊東町(松原、温川、玖須美、岡、鎌田の五区ほか一区からなる。)の西方大久保・下窪方面の地下からゆう出し、摂氏五五度以上の温度を有し、化学成分の含有量が極めて少ない単純泉で、ゆう出が極めて優勢な高水頭圧の源温泉(岡・鎌田源温泉)
(二) 松原区の地下に存在するものと推定され、摂氏47.5度以上の温度を有し、含有する化学成分として塩素イオン・硫酸イオン等が極めて多量な食塩泉に属する源温泉
(三) 伊東平地の南東部の地下に主としてゆう出し、摂氏二八度の温度を有し、含有する化学成分が極めて少ない冷地下水の三つであり、そのうち(一)が最も重要な役割をもち、(二)と相俟つて、全体として南から北へ、内陸から海岸へという方向で地下における流動を行つているものと考えられること
2 昭和一一年当時福富孝治および藤井次郎によつて行われた調査によれば、伊東温泉における温泉は、深さ四〇ないし二七〇メートルの穿井の口から自然にゆう出しており、ポンプを使用して汲上げる温泉も、一旦自然ゆう出し、貯溜したものについてこれを行つていたこと、温泉はいずれも松川沖積平地の部分にゆう出し、そのゆう出温度は、測定数一九七のうち、摂氏五〇ないし五五度のものが三六、同四五ないし五〇度のものが六四、同四〇ないし四五度のものが七二、同三五度ないし四〇度のものが二一、同三〇ないし三五度のものが三、同二五ないし三〇度のものが一であつて、同四〇ないし五〇度のものが全数の約七割を占めていたこと、地下における泉温の分布、伊東平地の西辺地区に高く、摂氏五〇度以上を示し、その部分を遠ざかるに従い低くなり、南方においては同四〇度以下のところもあつたこと
3 昭和三一年当時静岡県衛生部によつてなされた調査によれば、伊東温泉における自噴井は、過去には伊東温泉における温泉の大部分を占めていたが、漸次減少して昭和三一年当時には約四五井となり、多くの抗井が動力を使用するようになつていたこと、温泉水頭の変化(温度・ゆう出量の低下等)および温泉利用の増大に伴つて増掘・修繕等の工事が行われ、また新しい試錐によつて温泉の坑井深度が形次増大しつつある傾向が顕著となり、当時の稼行坑井のうち深度五〇〇メートル以上のものの数は、岡区に一〇本、松原区、鎌田区に各二本、計一四本に及んでいたこと、玖須美区においては、源泉温度の漸低傾向が顕著となり、多少の増掘によつても容易に源泉温度が上昇しないうえ、冷地下水の影響が一層増大し、他の源泉に及ぼす影響も大きくなつていたこと、松原区は、多数の源泉が分布し、伊東温泉の中心となつていたが、ほぼ可能な範囲で開発されており、冷地下水の影響も多少現われていたこと、岡区は、漸次開発されて伊東温泉の中心となりつつあつたが、深度六〇〇メートル前後を目的とした坑井も漸次増加する傾向にあつたこと
4 昭和三五年当時厚生省国立公園部によつて行われた調査によれば、塩素イオンの含量は、昭和二七年当時に比べ、前記1の(二)記載の食塩泉の属する松原区、玖須美区で減少し、同(一)記載の単純泉の属する岡区で増加する傾向にあつたこと、自噴井はさらに減少し、昭和三五年にはついに利用可能なものが全て消滅したこと
5 昭和四七年に財団法人中央温泉研究所によつて行われた調査によれば、昭和一一年、昭和三〇年当時の調査結果に対比すると、伊東温泉の平均温泉水位が低下しており、その年平均低下量は、昭和一一年から昭和三〇年までが年平均0.14メートル、昭和三〇年から昭和四七年までが年平均0.57メートルに及び、昭和四七年度に測定された二一の源泉井においては、坑口からの水位が平均して25.2メートルの深さになつていたこと、泉温摂氏五五度以上の源泉は水道山を中心とする岡区水落、柄杓沢にのみ限られ、また鎌田区の横巻利より松川上流域においては急激に泉温が低くなつていること、伊東温泉全体の平均泉温は、昭和一二年の摂氏47.5度を最高に年々低下し、昭和四七年には同43.8度となつていたこと、昭和六年には旧伊東町六区のうち最もゆう出量の多かつた温川区のゆう出量が、昭和三二年の毎分一〇、八〇〇リットルを最高に年々減少し、昭和四七年には毎分六、二〇〇リットルとなつていたこと
の各事実が認められ、右各認定に反する証拠はない。
さらに、<証拠略>によれば、伊東市より提出された昭和三〇年までの資料、伊東温泉組合から提出された同年から昭和三五年ころまでの資料および静岡県が独自に調査した同年以降の資料によつて地区別の温度区分ゆう出量の逐年変化を集計すると、別紙第一表<略>のとおりとなり、岡区、鎌田区のゆう出量が増大するにつれて温川区、玖須美区のゆう出温度が低下する、という関係のあることが認められる。
また、<証拠略>によれば、本件申請地は、南伊東駅の南方約二〇〇メートルの松川左岸に所在し、旧伊東町六区のうち鎌田区の東北部に属するが、本件申請地を中心とする半径二〇〇メートル以内の区域には少なくとも十数本の既存温泉井があり、伊東温泉の源泉密集地の一部を構成していることが認められる。
以上認定の事実によれば、伊東温泉における温泉源の中心は岡区水道山周辺の地下と推定され、昭和初年ころから同所に高温多量の源泉が開発されるに伴い地域全体の揚湯量が増加し、昭和三二、三年ころが頂点に達したが、昭和三五年ころには自噴泉の消滅、ゆう出量の減少、温度の低下、化学成分特に塩素イオン含有量の変化などの現象が相当顕著となり、とりわけ、前記水道山周辺の地下の温泉源にまで海水の浸透の影響が出てきたものと推測され、また、内陸の岡区、鎌田区におけるゆう出量の増大と海岸寄りの湯川区、玖須美区におけるゆう出温度の低下との間に相当明瞭な相関関係のあることが明らかになり、本件土地において新たな温泉掘さくがなされるならば、周辺に密集する既存の温泉井の利用に影響を与えるのみならず、伊東温泉全体における温泉水位の低下、温度の低下、成分の変化などの傾向が一層強まる可能性があるものということができる。
原告は、伊東温泉の源泉は、(一)水道山山塊を中心としたもの(湯川、玖須美、岡)、(二)巣雲山山塊を中心としたもの(宇佐美)、(三)南山山塊を中心としたもの(鎌田、川奈)に類別され、本件土地は(三)に含まれるから、本件土地における温泉掘さくは、(一)、(二)の源泉に影響を与えず、従つて伊東温泉全体に影響を与えることはない、と主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、しかも<証拠略>によれば、鎌田、川奈両地区は地理的に少なくとも二キロメートル以上離れており、かつ両地区の中間に玖須美区、岡区が存在することが認められるから、原告主張の(三)の源泉は、同(一)の源泉を跨いで存在することになり、地質学上極めて特異な地下構造を前提としない限り単一かつ独立の源泉としては存在しえないものというべく、原告の右主張は合理性を欠き、採用することができない。
そして、前認定の事実を前提とする以上、被告が本件申請に対し、温泉源を保護し、その利用の適正化を図る、という見地から、特に掘さくを制限する必要があると認めて本件処分を行つたことについては、その判断が行政庁に任された専門技術的な裁量権の限界を越えたものということはできない。
また、<証拠略>によれば、被告は、本件申請を受理した後、熱海保健所を通じて調査を行つたうえ、静岡県温泉審議会に諮問し、同審議会より不許可相当との答申を受けたうえ、本件処分を行つたことが認められる。
してみれば、本件処分には、それ自体として実体的または手続的な違法はない、といわなければならない。
四原告の主張に対する判断
原告は、本件処分の違法原因として、請求の原因3の(二)において、その(1)ないし(4)記載のような事情があるから、本件申請は、温泉法による通常の許可条件を満たしていなくても、なお許可さるべきものであるのに、被告は右事情を考慮することなく本件処分をした、と主張する。
そして、その事情として主張するところは、要するに、本件土地を含む横巻利の土地の使用・収益権原が国の違法な農地買収および売渡の処分により終戦直後から本件申請直前まで妨げられていたため、原告およびその先代が適切な時期に温泉掘さく許可申請をなしえなかつた、ということに帰着する。
ところで、二に前述したように、温泉の掘さくに関する許可制度は原則として自由な土地の所有権に対する法令上の制限として位置づけられるものであるから、基本的には、公益保護の見地から私権に対し必要かつ最小限の制約を加えるものであり、その専門技術的な性質から裁量行為とされてはいるが、その裁量の性質は基本的に羈束裁量の域を出ないものといわなければならず、これが個々の許可申請に対する政策的な配慮によつて左右されるならば、温泉行政の画一的運用は困難となり、同一地区における同一の自然条件下にある複数の温泉についてほぼ同時になされた掘さく許可申請が、あるいは許可され、あるいは許可されない、といつた事態を生ずる虞れがあり、そうなれば、地域全体のために温泉源を保護し、その利用の適正化を図る、という温泉法の公益目的が達成されない虞れが生じてくる。
従つて温泉掘さく許可に際しての知事の裁量は、あくまで専門技術的な羈束裁量であるべきであつて、政策的な自由裁量であつてはならないものと解される。
原告の前記主張は、結局、国の行政処分によつて原告もしくはその先代の財産権が違法に剥奪されたことを前提として、その補償を、被告より温泉掘さく許可を受け、これにもとづいて温泉を掘さく・採取することにより得ようとするものであつて、国家賠償法等の制定法によらない超法規的な方式による財産権の補償を求める政策的な要求といわなければならない。
してみれば、被告が本件処分をするに際し、請求の原因三の(二)の(1)ないし(4)記載のような事情を考慮しなかつたとしても、それは専門技術的な羈束裁量権限のみしか有しない行政庁としては当然の措置であつたというべく、これを以て被告がその裁量権の限界を越えたものということはできない。
五結論
以上のとおりであるから、本件処分の取消しを求める本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(松岡登 人見泰碩 渡辺壮)
別紙、第一表、第二表<省略>